【フジ子・ヘミング】左右の聴力障碍を乗り越えた魂のピアニスト奇蹟のカンパネラ!国籍の喪失
フジ子・ヘミングさんが18歳になった時、スウェーデン大使館からスウェーデンでの居住歴がない為国籍が取り消しになったと連絡が入ります。
フジ子・ヘミングさんは市役所に行き、母は日本人なのだから日本のパスポートを持つ権利があると主張しましたが、職員から「それはできない」と断られてしまいます。フジ子・ヘミングさんはこの時から”無国籍”の状態になってしまいました。
【フジ子・ヘミング】左右の聴力障碍を乗り越えた魂のピアニスト奇蹟のカンパネラ!無国籍なのにどうやってドイツへ?
国籍を喪失し無国籍になってしまったフジ子・ヘミングさんですが、大学を卒業した後は自身の名前を売る為に日本国内で精力的にソロ・リサイタルを開催し、多くのファンを獲得します。
あるソロ・リサイタルの後の交流会で男性の一人が、
「ヨーロッパの地であなたの音楽を人々に聞かせるべきだ!」
と熱く語ってきました。その男性はドイツ大使でした。フジ子・ヘミングさんはしかし無国籍でありパスポートを持つことができません。そのことをドイツ大使に説明しました。
するとドイツ大使はフジ子・ヘミングさんに赤十字の難民認定を受けさせ、ドイツ暫定のパスポートを発給しました。
ついにフジ子・ヘミングさんは海外へ出る為の資格をその手につかんだのです!
彼女はベルリン芸術大学の奨学金を申請し、ドイツに留学することになりました。
ベルリンへ旅立つ日、母投網子さんは一緒に羽田空港行きのバスへ乗り込みフジ子・ヘミングさんがいなくなることでどれだけ寂しい思いをするかと到着までずっと罵声を浴びせつづけたそうです。
しかしそれでも毎月100ドルの送金をしてくれていたそうです。
【フジ子・ヘミング】左右の聴力障碍を乗り越えた魂のピアニスト奇蹟のカンパネラ!右耳のみでなく左耳も聴覚障害に
毎月100ドルの仕送りはありましたがそれだけでは生活は厳しく、フジ子・ヘミングさんの持ち物は服と小さな銀のベル1つだけ、暖房のない部屋を借りジャガイモを食べて生きていました。そして仕送りの最後の1ドルがなくなると次の仕送りが来るまでは砂糖水をすすってしのぐような生活を送っていたようです。
それでもフジ子・ヘミングさんは優秀な成績でベルリン芸術大学を卒業し、卒業後はウィーンに活動の場を移しました。
ウィーン移動した後はコンサートなどを行いピアニストとして活動していました。フジ子・ヘミングさんのリサイタルチケットは完売し、ドイツのメディアはフジ子・ヘミングさんを「ショパンとリストを演奏する為に生まれてきた日本人ピアニストだ」と称賛しました。
フジ子・ヘミングさんの演奏はドイツの全国放送で紹介され、多くのリサイタルがラジオで流されました。
しかし強力な後援者を持っていなかったフジ子・ヘミングさんはそれでもまだ生活に困窮していたそうです。
フジ子・ヘミングさんは強力な後援者として指揮者のレナード・バーンスタイン氏に援助を求める手紙を書いていました。そしてちょうどバーンスタイン氏がバッハのマタイ受難曲を指揮する為にウィーンを訪れた時に自身の演奏を聴いてもらえるチャンスを手にします。
バーンスタイン氏のコンサート終了後、楽屋を訪れたフジ子・ヘミングさんはピアノをバーンスタイン氏の目の前で披露しました。
”He kissed her on the cheek. “Leave it all to me,” he said.”
彼は彼女の頬へキスし、「すべて私に任せなさい」と言った。
KYOTO JOURNAL October 26,2011「Fujiko Hemming, Deaf Pianist」https://www.kyotojournal.org/culture-arts/the-silence-before-the-cadenza-fujiko-hemming-pianist/
結果、9歳の時クロイツァー氏に大絶賛されたように、後援者として指揮者バーンスタイン氏に認めてもらえたのです!
そして彼女は1年近くかけてコンサートの為に練習し、そのテクニックを完璧に至るまで磨いていました。
ところが公演の1週間前に信じられない悲劇がフジ子・ヘミングさんを襲います。
その年のウィーンの冬の寒さは厳しかったそうです。その上暖房をつけることすらできない程の困窮は改善していませんでした。
またあの16歳の日のように発熱に襲われたフジ子・ヘミングさん。熱が下がった時、たまたまナイトテーブルからあの小さな銀のベルが床に転がり落ちました。
落ちたのにベルの音が聞こえません。
壊れたのかな?そう思いベルを確認しても特に壊れた様子はありません。
強く強く腕が痛くなるほどベルを振りました。
しかし、聞こえるはずのベルの音は全く聞こえませんでした。
フジ子・ヘミングさんはやっとつかんだチャンスを目前に、なんと右耳だけでなく左耳の聴力まで失ってしまったのです…!
結局公演はキャンセルせざるを得ず、ウィーンでの生活はまるで拷問のようになってしまいました。


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