【筧千佐子】後妻業の女 相続遺産8億円 なぜ貪欲に金を集めなくてはならなかったのか?

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投稿日:2023年8月29日 | 最終更新日:2023年8月29日

老後のパートナーを求める男性を次々魅了し殺害、財産をうばっていった筧千佐子(かけいちさこ)。相続遺産8億円超え、関西周辺でおこった19年に渡る青酸連続殺人事件。犯人筧千佐子について調べてみた。

【筧千佐子】夫、交際相手を次々殺害 事件一覧

概要
  • 1994年から2013年の19年間で交際・結婚した男性11人を次々と青酸化合物で毒殺
  • 入籍は4回している
  • 遺産相続で8億円から10億円を得ていたといわれている
  • 11人中、立件できた事件は4件
  • 2021年(令和3年)に死刑確定

1994年から2013年の19年間で交際、結婚した男性11人を次々と青酸化合物で毒殺し財産を奪っていった青酸連続殺人事件。

犯人の筧千佐子は1994年最初の夫を青酸化合物で殺害して以降、結婚相談所でターゲットを漁り躊躇なく次々と青酸化合物を服用させ毒殺していました。

特に逮捕された2013年には1年で3人の男性と交際し、内1人と結婚しています。

この2013年に死亡したK氏の死亡状況に不信を抱いた京都府警が司法解剖をした結果血液から致死量を上回る青酸成分が検出されたのです。K氏とは死亡の2か月前に入籍したばかりでした。この最後の結婚相手K氏の死亡から芋ずる式に筧千佐子の犯行が明るみに出てきました。

筧千佐子の苗字「筧」は最後に結婚したK氏の苗字です。

そしてK氏が死亡し警察から事情聴取を受けている合間にも結婚相談所へ通い新たな男性と交際を始めていました。この男性は警察から「筧千佐子はとある事件の捜査を受けている、早急に交際をやめたほうがいい」と警告をうけています。

この警告がなければ被害者はさらに増え、12人だったかもしれません。

次々に男性と親密な関係を築く筧千佐子。

彼女にはどんな魅力があったのでしょうか?

【筧千佐子】後妻業の女 どんな人物だったのか?親は?子どもは?

小説『後妻業(ごさいぎょう)』(黒川博行著)のように次々と老後のパートナーを求める男性を殺害し財産を奪っていった犯人、筧千佐子。

筧千佐子とはどんな人物だったのでしょうか?

筧千佐子は1948年(昭和21年)11月28日に長崎県長崎市で未婚の母の子として生まれたと本人は言っています。千佐子曰く成人後に届いた実の母親からの手紙でその事実を知ったとのことですが、それが事実だとすると昭和21年11月末、戦後たった1年4か月後に長崎県長崎市で生まれたという事で実母は相当困難な状況で筧千佐子を産んだことが想像できます。

出産後すぐ福岡県に養子に出され長女として育てられた筧千佐子は「とにかく頭のいい子」だったようです。運動が苦手だった筧千佐子は先生に「運動は苦手だけど頑張った、だから体育の点を上げてほしい」と直訴したそう。子どもの頃から気が強く、自分の主張をはっきり口にするタイプだったようです。

高校は地元の進学校に進みますが、同級生たちにとって筧千佐子は「目立った存在ではなかった」印象だったようで特徴をしいて上げるならば「どちらかと言えば穏やかで、記憶の中では笑顔が思い浮かぶタイプ」と証言しています。

そして高校卒業後は都市銀行の北九州支店に就職し就職から4年後、鹿児島旅行中に一人目の夫となるAさんと出会いました。

1人目の夫Aさんは大阪の人でした。二人はお互いの両親の反対を押し切って結婚します。

結婚後夫の実家のミカン農家を手伝いながら1970年に長男を、1971年には長女を出産しました。

収監された筧千佐子と長期にわたり接見取材をしてきた記者から見た筧千佐子はよくしゃべる話好きの陽気な関西のおばちゃんといった印象とのことでした。しかしその反面自分の主張が通らなくなると激高するタイプでもありました。そして息を吐くように嘘がつける人物であったと回想しています。

筧千佐子なぜ殺人を犯してまで大金を得ようとしたのでしょうか?その動機はどこにあったのでしょうか?

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