本格的にフルマラソンに取り組んだのは40歳直前!高校教諭を続けながらのトレーニング!経歴、子ども、何が彼女をフルマラソンに駆り立てたのか。弓削田眞理子さんについて調べてみました!
【弓削田眞理子】諦められなかった3時間の壁 弓削田さんてどんな人?
弓削田眞理子さんは2023年現在60歳以上女子マラソンの世界記録保持者です。60歳でサブスリーと世界記録を達成しました。
この”サブスリー”とはフルマラソン42.195kmを3時間未満で走り切ることです。「サブスリー」は「sub-three- hours」の略で接頭語のsubは「下、下位」などの意味を持ち、「3時間を下回る」「3時間未満」ということになります。
2018年4月~2019年3月までの全日本マラソンランニングのデータによると、サブスリーはフルマラソン完走ランナーのうち男性で3.1%、女性では0.4%しか達成できていません。
弓削田眞理子さんは世界で初めて60代でこのサブスリーの達成をなしとげた人です。
【弓削田眞理子】諦められなかった3時間の壁 経歴は?
弓削田眞理子さんは中学生時代に陸上部へ入り中学校では短距離と走り幅跳びを中心に行っていました。
高校は川越女子高等学校へ入学し800mでインターハイに出場しています。
その後埼玉大学へ進学し日本学生陸上競技対校選手権大会、通称インカレの1500mで5位、日本選手権では6位に入賞しました。
フルマラソンを始めたのは24歳の時です。しかし実は周りの同世代の選手たちが軒並みサブスリーを記録する中、弓削田眞理子さんはどうしても3時間を切る事ができませんでした。
その後25歳で弓削田眞理子さんは結婚し、1年後にお子さんをを出産します。
弓削田眞理子さんは4人子どもを出産されていますが、4人目のお子さんを出産されたのは37歳の時でした。
子どもを出産している時期はマラソンは休止していましたが、その間もトレーニングは続けていました。弓削田眞理子さんは高校で保健体育の教員をされており、陸上部の顧問を務めていたので部活で生徒と一緒に走ったり腕立て伏せ、腹筋などのトレーニングをしていたそうです。
なぜトレーニングを続けていたのでしょうか?
実はマラソンを休止していた間もマラソンすることを諦めていなかったのです。なぜなら24歳の時サブスリーを達成できなかったことで
「何としてでもサブスリーを達成したい」
という強い気持ちが弓削田眞理子さんの心の底にずっと残っていたのです。
そして40代直前、ついに本格的にマラソンレースに復帰します。そして2009年、51歳で出場した名古屋国際女子マラソンで3時間5分台を記録しました。
その後4人目のお子さんの高校進学を機に弓削田眞理子さんは東京の陸上専門の市民ランニングクラブに参加し、トレーニングを開始します。するとさらに完走時間は短縮され3時間1分台に!!
そして58歳、大阪国際女子マラソンでついに24歳で到達できず諦めきれなかったサブスリーに到達しました。
弓削田眞理子さんは58歳でサブスリーを達成しましたが、そこで燃え尽きることはありませんでした。
58歳でのサブスリー達成後、調べてみると60代でのサブスリー達成者はいない事が判明します。
「次は今まで誰も到達できなかった60代のサブスリーを達成するんだ」という熱意がマラソンを続け記録を追い求める大きなモチベーションになりました。
そして60歳で出場した下関海響マラソンを2時間59分15秒で走り切り、60代で初めてのサブスリーという世界記録を樹立しました。
【弓削田眞理子】諦められなかった3時間の壁 マラソンを諦めなかったのは偉大な女子マラソン走者たちの姿
60代で前人未到のサブスリーを成し遂げた弓削田眞理子さん。
出産による長期のマラソン休止でもその情熱がなくならなかったのは24歳でサブスリーを達成できなかった無念の思い他に、二つ大きなモチベーションとなったことがありました。
一つは学生時代に見た英国の長距離ランナー、ジョイス・スミスさんでした。
ジョイス・スミスさんは元々トラック競技の3000mやクロスカントリーの選手でした。それらの競技でも次々と国際大会で優勝し、英国記録を樹立した人物です。世界クロスカントリー選手権では3度のメダルを獲得しています。
1979年初めてマラソンに参加した時ジョイス・スミスさんは40代になっていました。
弓削田眞理子さんがまだ学生だった1979年と翌年1980年にジョイス・スミスさんは東京国際女子マラソンで走り優勝しています。
そしてもう一つ。
ロサンゼルスオリンピックの開催した1984年、26歳の弓削田眞理子さんは長女を妊娠中でした。
実はこのロサンゼルスオリンピックから女子マラソンが公式種目として加わりました。その初代金メダリストであるジョーン・ベノイトさんが夏の酷暑の中、先頭でゴールに飛び込んでくる姿をテレビで見た弓削田眞理子さんは
「自分も子育てが終わったら、絶対にもう一度フルマラソンを走る!!」
と決心したそうです。
ちなみにロサンゼルスオリンピックにはジョイス・スミスさんも出場選手最高齢となる46歳で参加し、11位に入賞しています。
2022年4月18日に開催されたボストンマラソンに参加した弓削田眞理子さんは、なんとその初代金メダリスト、ジョーン・ベノイトさんと感動の対面を果たしています。
【弓削田眞理子】諦められなかった3時間の壁 おわりに
弓削田眞理子さんは週3回母校、川越女子高校で保健体育を教えながら毎日トレーニングを続けています。2023年4月からはランナーズ+inチームのコーチも始めました。
今でも月に600~700㎞、多い時には800㎞走っているそうです。
基本的には雨が降ろうが、雪が降ろうが走っているそうですが、その理由は雨や雪でマラソンが中止になる事はないからだとか。さすがに台風の日に走りに行こうとしたら家族に止められたそう。
その他にも走り続ける為に睡眠を絶対に8時間以上取る事、食事はタンパク質や野菜を多くとる事など健康にも気を使っているそうです。
弓削田眞理子さんの今の目標は、具体的には完走時間2時間50分を切ることですが、何よりも「死ぬまで元気に走り続ける」こと。
「とにかく、死ぬまで走りを極めたい」
ただただ走る事に魅了された女子マラソン世界記録保持者はまだまだ進化する予定のようです。
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