65年間アメリカ各地をさまよっていた列車強盗!1976年カリフォルニア州の遊園地内で人間のミイラが見つかった。人は皆それはマネキンだと思っていた。いったいいつ、どうしてミイラとなってしまったのか!?
【エルマー・マッカーディ】65年間アメリカ各地で興行していたミイラ 発見経緯
日本では昭和の高度経済成長期が終焉を迎えた頃、1976年アメリカ カリフォルニア州ロサンゼルス ロングビーチのパイク遊園地でTVドラマ『600万ドルの男』の撮影をしていました。撮影クルーが撮影セットの準備している途中絞首台の縄にぶら下がっていた蝋人形のマネキンを動かした時、そのマネキンの腕が折れてしまいます。
撮影クルーがその折れてしまった腕を見てみると
なんと明らかに本物の人の骨と思われるものが…!!!
長年皆が蝋人形のマネキンだと思い込んでいたモノ、実はそれは本物の人間の遺体でありミイラだったのです。
【エルマー・マッカーディ】65年間アメリカ各地で興行していたミイラ どうやって人物を特定したのか
蝋人形が実は人間のミイラであり遺体である事がわかった為、そのミイラは警察の検視局に運ばれました。
ミイラを解剖してわかったことは
- 胸部銃創から胸部の銃撃により死亡した人物である
- 遺体は完全にミイラ化し、ワックスとリン塗料の層で覆われていた
- 体重23㎏、身長160㎝
- 側頭部、後頭部には髪の毛がまだ残っていたが、耳、足の親指など一部欠損
- 肺結核の痕、外反母趾、傷跡
- 死後早期の解剖と防腐処置によると思われる切開痕
- 致命傷を与えた弾丸のジャケット(弾丸自体は死後早期の解剖で除去されたと考えられる)
- 口の中に1924年のペニー硬貨と「140 W.パイク サイドショー ルイ・ソニー犯罪博物館」のチケットの半券が入っていた
これらの情報から捜査が行われた結果、ミイラとなりカリフォルニアの遊園地で興行をしていたのは
1911年、和暦でいうと明治44年、世界史的に見ると第一次世界大戦開戦の3年前に強盗犯として射殺された「エルマー・マッカーディ」という人物であった事が判明しました。
【エルマー・マッカーディ】65年間アメリカ各地で興行していたミイラ どんな人物だったのか
エルマー・マッカーディは1880年1月1日にメイン州ワシントンでセイディ・マッカーディの息子として生まれました。母親のセイディは当時17歳でした。父親は身元不明で未婚の私生児としてエルマーを産んでいます。
セイディの兄ジョージとその妻ヘレンは、セイディを「未婚で私生児を産み育てている」という世間的な「恥」から守る為にエルマーを養子にしました。しかしその10年後兄ジョージは結核で亡くなってしまい、セイディと残された妻ヘレンはエルマーを連れてメイン州バルゴーへ引っ越しました。そして最終的にセイディはエルマーに実の母の正体と父親が誰かわからないという出生の秘密を明かしてしまいます。
この真実にエルマー・マッカーディーは荒れ、10代から大量飲酒するようになってしまいました。
その後エルマー・マッカーディはメイン州へ戻り祖父と暮らすようになり、配管工見習いとして働いていました。その頃はエルマー・マッカーディは有能な労働者だったようです。しかしその穏やかな時間も10年程しか続きませんでした。
1900年8年に母親のセイディが潰瘍破裂で亡くなり、祖父もその翌月に亡くなってしまいます。エルマー・マッカーディはその上職も失っていたようです。
祖父の死後はメイン州を離れアメリカ東部を転々と移動し鉛鉱夫や配管工として働いていたようですが、10代から始めた大量飲酒からアルコール依存症になっており長期間仕事に就くことができなくなっていました。1905年にはカンザス州オイラで「公共の場での酩酊状態」で逮捕され、その後ミズーリ州ウェッブシティへ移住しました。
エルマー・マッカーディはその後1907年にアメリカ陸軍に入隊し、機関銃の操縦手をしていました。その頃にニトログリセリンの使用訓練をうけたようです。そして除隊後その知識を使って強盗をしていました。
しかし残念ながら、その能力はお粗末で適切な使用量を正しく判断できなかった為失敗ばかりだったようです。
ある時はぜっかく列車強盗で金庫を発見するのは成功したのに金庫を開ける為のニトロを使いすぎ金庫自体を爆破で破壊してしまい、結果中の銀貨の殆どが金庫の枠に溶けエルマーとその仲間が手に入れられたのはたった450ドルだったり、またある時は2時間かけてハンマーで銀行の壁を突き破った後ニトロで金庫室の外側の扉を吹き飛ばす事には成功しましたが、金庫自体を壊すことはできず、再度金庫の扉をニトロで破壊しようと試みましたが残念ながら点火できず、結果金庫の外のトレイに入っていた150ドルを盗んで逃走したりなどのエピソードが残っています。
実はエルマー・マッカーディの犯罪歴は1年未満です。初犯は1911年1月以降であり、最後の強盗は1911年10月4日でした。
最後の強盗は現金40万ドルを輸送している列車を襲撃する計画でしたが、ここでもチョンボが発生しています。本来停めるはずの輸送車ではなく旅客列車を停めてしまい、結果エルマー・マッカーディとその仲間二人が手に入れられたのはわずか46ドルとウィスキー2容器、回転式けん銃、1枚のコート、車掌の腕時計だけでした。
この事件は後に新聞に”one of the smallest in the history of train robbery(列車強盗史上最少級の事件)”の見出しがつけられました。
その後、エルマー・マッカーディはどのような経緯でミイラになり全米を放浪することになったのでしょうか?
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