《初代尾上眞秀》「團菊祭五月大歌舞伎」昼の部『音菊眞秀若武者』で初舞台
寺島しのぶさんの息子であり、7代目尾上菊五郎さんの孫である初代尾上眞秀(おのえ まほろ)こと寺嶋眞秀(てらじま まほろ)君が5月2日からの歌舞伎座新開場十周年「團菊祭五月大歌舞伎」昼の部『音菊眞秀若武者』で初舞台を踏むと話題になっています。
初舞台を飾る祝幕を『CHANEL』がサポートしたことも記事で大きく取り上げられていますね。
《初代尾上眞秀》初舞台『音菊眞秀若武者』てどんなお話し?
初代尾上眞秀君の歌舞伎初舞台、『音菊眞秀若武者』とはいったいどんな話なのでしょうか?
実はこの話は眞秀君の為に書き下ろされた新作で、祖父菊五郎さんが演出をされています。
物語は国守の祝いの宴が催される山里曲輪に剣術指南役に連れられた一人の女童がやって来るところから始まります。
この女童は国守の元で奉公することになります。女童は可憐な舞を披露して宴を盛り上げますが、そこへ狒々に村を襲われ困り果てた村人たちがやってきます。
その話を聞いた女童は狒々退治に名乗りを上げます。実は女童の正体は父の仇を探すために女童の姿になり宴に潜入した岩見重太郎だったのです。
ネットで公開されているあらすじはこんな感じです。
もともと古典として存在する『岩見重太郎狒々退治』をもとにして新たに書いた作品で、初代尾上眞秀君は前半は女方「女童」役で舞を、後半は立役「岩見重太郎」役で狒々退治の立廻りを披露します。
ところで『岩見重太郎』てどんな人?
『岩見重太郎(いわみ じゅうたろう)』は安住桃山時代に、父を殺された仇討ちの為諸国を放浪し、その道中で狒々(ひひ)や大蛇、狛犬などの化け物退治を行い数々の武勇伝を打ち立てた伝説の剣豪です。天橋立で仇討ちを成し遂げました。
その後、豊臣秀吉、秀頼に仕え、大阪夏の陣で壮絶な最後を遂げます。
『岩見重太郎』は実在の人物なのか?
ところでこの岩見重太郎とは実在した人物なのでしょうか?
調べてみると安土桃山時代から江戸初期にかけて『岩見重太郎』という名の人物は実在したようです。
岩見重太郎の物語では父の仇討ちの後は薄田兼相(すすきだ かねすけ)と名乗り豊臣秀吉に仕えたとなっています。
この薄田兼相という人物も実在したようです。
しかし実際のところ岩見重太郎と薄田兼相が同一人物という説自体は信頼度は低いようです。
岩見重太郎の物語
岩見重太郎の物語は江戸時代に誕生し講談や読本、歌舞伎や映画などの形で人々の中に広まっていったもののようです。
仇討ちという大衆の心を揺さぶるテーマ、妖怪退治というアクション性、立身出世と壮絶な最期。さらにそこへ時代時代に様々な脚色が加えられ、現代でも十分に楽しめる物語として生き続けています。
その他にも岩見重太郎の狒々退治を伝説をもとにした大阪野里住吉神社の『一夜官女祭』や
岩見重太郎が夜高行燈で山賊を撃退した伝説にちなんで高さ10メートル以上の巨大行燈を灯す富山『黒河夜高祭り』など、日本各所に祭りの題材として残っているものもあるようです。
『音菊眞秀若武者』と岩見重太郎の物語についてまとめ
「團菊祭五月大歌舞伎」昼の部で『初代尾上眞秀』初舞台で上演される『音菊眞秀若武者』に関してこの物語はどういったものなのかを調べてみました。
『音菊眞秀若武者』は『初代尾上眞秀』の初舞台の為に、安土桃山時代に父の仇討ちの為に諸国を廻る道中で妖怪退治をした岩見重太郎の武勇伝のうちの一つ狒々退治を元に書かれた新作でした。
岩見重太郎という人物は実在したようですが、その物語は江戸時代に誕生し講談や読本、歌舞伎などにより脚色され民衆に広がっていったようです。
日本各所にその岩見重太郎の物語にちなんだ祭りが残っています。
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