9歳に脊髄腫瘍で下半身麻痺。車いすテニスの世界王者。2023年1月22日に現役引退。「生涯ゴールデンスラム」達成!パラスポーツ選手初の国民栄誉賞!「オレは最強だ!!!」
《国枝慎吾》成績は?世界最多50回優勝、世界ランク1位を10回記録!
2023年1月22日に現役引退した国枝慎吾選手。グランドスラム車いす部門で男子世界歴代最多計50回優勝の記録保持や、年間最終世界ランキングで1位を10回記録、生涯ゴールデンスラム達など驚異の成績を残されています。またパラリンピック男子シングルスの2008年アテネ、2012年ロンドン、2020年東京での金メダルを獲得しています。
4大大会優勝とパラリンピック獲得メダルの一覧は以下の通りです。
男子シングルス
全豪オープン | 2007、2008、2009、2010、2011、2013、2014、2015、2018、2020、2022(計11回) |
---|---|
全仏オープン | 2007、2008、2009、2010、2014、2015、2018、2022(計8回) |
ウィンブルドン | 2022 |
全米オープン | 2007、2009、2010、2011、2014、2015、2020、2021(計8回) |
男子ダブルス
全豪オープン | 2007、2008、2009、2010、2011、2013、2014、2015(計8回) |
---|---|
全仏オープン | 2008、2010、2011、2012、2013、2015、2016、2019(計8回) |
ウィンブルドン | 2006、2013、2014、2022(計4回) |
全米オープン | 2007、2014(計2回) |
パラリンピック獲得メダル
金メダル | 2004(アテネ)男子ダブルス 2008(北京)男子シングルス 2012(ロンドン)男子シングルス 2020(東京)男子シングルス |
---|---|
銅メダル | 2008(北京)男子ダブルス 2016(リオデジャネイロ)男子ダブルス |
《国枝慎吾》なぜ車いすユーザーになったのか?
国枝慎吾さんはなぜ車イスユーザーになったのでしょうか?
実は9歳の時に脊髄腫瘍を患ってしまったからです。
脊髄腫瘍は背骨を通る神経(脊髄)付近にできる腫瘍です。
9歳の時突然、腰の痛みが数カ月にわたって続くようになりました。その痛みは寝られないぐらいのものだったとのことで、かなりの激痛だったことが想像できます。
病院でMRI(核磁気共鳴映像法)検査を行ったところ、脊髄に映る腫瘍の影が。
そしてちょうど手術のその日に、足が全く動かなくなってしまいます。残念ながら手術しても下半身の麻痺は治る事はありませんでした。
《国枝慎吾》車いすテニスを始めたきっかけは?
国枝慎吾さんは脊髄腫瘍を発症するまでは少年野球チームに入っていました。ご本人曰く「やんちゃな子どもだった」とのこと。
もともと体を動かすことが好きだった国枝慎吾さん。まず初めは車いすバスケのチームを探したそうです。しかし車いすバスケのチームは見つかりませんでした。
6年生になったころ、もともとテニスが好きだった国枝慎吾さんの母が車いすテニスを指導しているテニス教室を知人に教えてもらった事から国枝さんのテニス人生がはじまります。
そのテニス教室とはそれまでにも数々の車いすテニス選手を世界に輩出している吉田記念テニス研修センター(TTC)でした。
国枝慎吾さんは始めはテニスにはあまり乗り気ではなかったようです。
回転をかけたり、作戦を練ったり、最初はなんだか難しいスポーツだと感じて、すぐにはテニスを好きになれなかった。
www.news-digest.co.uk (3 February 2023)
しかし1年後に初めて試合に出場して1回戦で敗退してしまいます。
悔しくて、どうしても勝ちたくなって、それから夢中で練習するようになりました。
やはりスポーツの世界でトップになる人達は「悔しい、どうしても勝ちたい」という負けん気が、素質としてとても重要なものなのでしょうね。
国枝慎吾さん自身は始め気乗りしていなかったテニスですが、実はテニス用の車いすに乗った直後から、巧みな車いすさばきをみせていたようです。
コメント