かつて運送業をしていた父親、バブル期の大量採用、バブル崩壊、全盲の夫と身体に障がいを持つ妻は10年来の顧客だった。なぜこの事件は起こってしまったのか。
《エリート銀行行員顧客殺人事件》犯人・岡藤輝光とはどんな人物だったのか?
10年来の顧客を殺害という最悪の罪を犯してしまった岡藤輝光とはどんな人物だったのでしょうか?
- 福岡県出身
- 父親は中卒で運送会社のトラックの運転手として働いていた
- 3人兄弟の長男、下に妹と弟がいる
- 事件当時2歳の息子がいた。逮捕された年の11月に次男が生まれている
- 高校、大学とも福岡県
- 学生時代はラグビー部に所属。
- 高校では花園出場経験アリ。大学はスポーツ推薦で入学。
- 富士銀行へもスポーツ枠で入行
バブル全盛期の1989年、そのころ銀行や証券会社などの金融機関は大量採用を行っていました。
富士銀行はもともと採用を指定校制で行っていて旧帝大クラスからしか採用していませんでしたが、岡藤輝光が在学していた福岡大学のラグビー部は1~2名程の枠を持っていたようです。岡藤輝光はそのような環境で採用されたうちの一人でした。
人柄は「不器用なところがあるものの男気にあふれ人情深いラガーマン」と同級生の一人は言います。
また勤務態度も真面目で欠勤などもなく人当たりは良かったようです。
しかし安請け合いをしがちで忘れっぽく、場当たり的でルーズな面も見られたそうです。
《エリート銀行行員顧客殺人事件》岡藤輝光はなぜ不正融資を行ったのか?
なぜ岡藤輝光は不正融資に手を染めてしまったのでしょうか?
事件の起こった1998年頃は1990年から93年に起きたバブル崩壊の影響で各金融機関の貸し渋りが強まり、どこからも融資が受けられず資金繰りの厳しい中小企業が多く発生していた時期でした。
1996年 建設業者への浮貸し
運送会社への浮貸しを行う前に、岡藤輝光は建設業者への浮貸しを行っています。
もともとは岡藤輝光の上司から新規取引先としてくだんの建設業者に営業をかけるよう指示されています。
しかし、この建設業者は岡藤輝光が営業で訪れた時点で他行で信用保証協会の限度額いっぱいの融資を受けていたため信用貸付はできない状態でした。
春日部支店の会議でも当然「貸付不可」と結論が出ていましたが、建設業者の社長からの「大手ゼネコンとの取引もあり返済能力はある」という言葉を受け「なんとかしてみましょう」と安請け合いしてしまいます。
この建設業者に関して「貸付不可」の結論が出ているにも関わらず、岡藤輝光はしつこく支店長や上司に融資を認めてほしいと頼みこんでいたようです。
当然それが通るわけもなく、また老夫婦の担当となり相当額の資金を持ち短期の定期預金で運用している事実を知っていた岡藤輝光はその資金で「浮貸し」を行う事を決断します。
岡藤輝光は老夫婦の定期預金から3000万円を不正に引き出し建設業者へ浮貸しを行っています。
この浮貸しは、建設業者が返済期日までに資金を返済したため事件後まで発覚する事はありませんでした。
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