【篠崎史紀】N響特別コンサートマスター!愛称はMARO!?どんな人?

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投稿日:2023年12月11日 | 最終更新日:2023年12月11日

23歳ボルドー国際音楽祭で銀賞入賞!数多のヴァイオリニストを輩出した「スズキ・メソード」で父から教育!燕尾服の裏は着物生地!真珠を転がすような鮮やかな音色!ヴァイオリニスト篠崎史紀さんについて調べてみた

【篠崎史紀】N響特別コンサートマスター!愛称は「MARO」なんで?

NHK交響楽団特別コンサートマスターの篠崎史紀さん。愛称は世界的にも「MARO」と呼ばれているようです。なぜ「MARO」なのでしょうか?篠崎史紀さんご自身のホームページにも「その容貌から”まろ”の愛称で親しまれている。」と書かれています。

「まろ」エピソードは小学生の頃までさかのぼります。

小学生の時、友達から教科書の浮世絵を指しながら「この絵に似ている」と言われたそう。その浮世絵は浮世絵師「歌麿」の描いた「東洲斎写楽」の絵でした。そこから描いた浮世絵師「歌麿」の「まろ」があだ名になったそうです。なんとも小学生らしいエピソードですね!

その後、留学時代に「しのざきふみのり」という名前が呼びにくいので「ミドルネームはないか」と聞かれた時に上記エピソードを思い出して「MARO」と言ったそう。この「MARO」は「マリオ」「マリア」に似ていたので、ヨーロッパでは呼びやすかったようで、公式に「MARO」がニックネームとなったそうです。

「MARO」という響き、日本ぽくて日本人として愛着がわく良いニックネームですよね。

【篠崎史紀】N響特別コンサートマスター!プロフィール

氏名篠崎 史紀(しのざき ふみのり)
生年月日1963年1月18日
出身地福岡県北九州市
最終学歴ウィーン市立音楽院
公式サイトhttps://twitter.com/sasakiryo1984

【篠崎史紀】N響特別コンサートマスター!経歴

  • 3歳で篠崎永育(父)、美樹(母)からヴァイオリンの手ほどきを受ける。
  • 高校1年生で第32回全日本学生音楽コンクール全国大会高校生の部 第1位
  • 1979年史上最年少で北九州市民文化賞を受賞。
  • 高校卒業後はウィーン市立音楽院へ留学。
  • 23歳の時ボルドー国際音楽祭で銀賞入賞。その他ヨーロッパ主要コンクールで受賞実績を重ねる
  • 1988年ウィーン市立音楽院を終了後帰国。その後は群馬交響楽団のコンサートマスター、読売本交響楽団コンサートマスターを経た後NHK交響楽団のコンサートマスターに就任。
  • 2023年4月からNHK交響楽団特別コンサートマスターに就任。
  • 2001年福岡県文化賞受賞、2008年北九州市文化大臣に任命

その他に次世代育成の活動もしてみえます。

2007年から福岡では毎年プロアマの境界を超えた「楽興の時〜室内楽セミナー&演奏会~」で室内楽を指導・共演し、熊本ではプロフェッショナルとアマチュアが共演し、その演奏が出来上がるまでのリハーサルを公開する、斬新な音楽会「マロ塾」を開催してみえます。

【篠崎史紀】N響特別コンサートマスター!数多のヴァイオリニストを生み出した「スズキ・メソード」

育てたのは父・篠崎永育

篠崎史紀さんは父も母もヴァイオリンを弾く、生活の中にヴァイオリンのある生活環境の中で産まれ育ってみえたようです。

父の篠崎永育さんは太平洋戦争後、18歳の頃に出会ったヴァイオリニスト鈴木鎮一さんの著書に感銘を受け鈴木鎮一さんに直接会いに行きそのまま住み込み弟子入りしたそうです。そして9年間鈴木さんの元へ滞在し鈴木鎮一スピリットと鈴木さんの提唱する「スズキ・メソード」を余さず吸収されたそう。この「スズキ・メソード」こそが演奏家「篠崎史紀」を作り上げた土台でした。

スズキ・メソードとは?

「スズキ・メソード」とはヴァイオリニスト鈴木鎮一さんが提唱した教育方です。

それは母国語を子どもが自然に覚え使えるようになるように、環境の中にうまく音楽を取り入れていく方法です。

  • 環境:良い音楽を生活の中に取り入れ音楽の溢れる環境を作る
  • 能力:赤ん坊が両親が話している様子をみて「話したい!」と話し始めるように、音楽も同様に「弾いてみたい!」という心を引き出す
  • 意欲:「あの曲を弾きたい!」と思う気持ちとそれを達成した時の喜びを育てる

この3点が「スズキ・メソード」の根幹となっています。

この「スズキ・メソード」は、優秀なヴァイオリニストを多く輩出したようです。しかしその為「スズキ・メソード」は「ヴァイオリンの英才教育メソッド」という偏見を生み出してしまったようです。

このことについて篠崎史紀さんは、「スズキ・メソード」の最大の目的は「楽器を通じて人の精神を豊かにする」であるとインタビューで答えています。そう答えられるのは、父・篠崎永育さんが鈴木鎮一さんの直接の弟子であり、篠崎史紀さん自身も鈴木鎮一さんと直接お話しされたからこそでしょうね。

鈴木鎮一の直弟子である父・篠崎永育さんに育てられた篠崎史紀さんは「ヴァイオリンを弾きなさい」と言われた記憶は一度もないそう。

産まれた時から常に目の前にヴァイオリンが転がっていて、1歳11か月の時にはもうヴァイオリンを構える格好したそうです。

1歳11か月の子どもがヴァイオリンを構えるマネをするという事は、ご両親もしょっちゅう楽しくヴァイオリンを演奏していたんでしょうね。

【篠崎史紀】N響特別コンサートマスター!音楽とは

「ヴァイオリニストにとってストラディバリウスより大切なのは」このYouTubeに篠崎史紀さんの信念や人柄がよく表れていると思います。

「大切なのは良い楽器ではなく、結局はその人の腕前なのだ。上手な人はそこら辺のチープな楽器でも素晴らしい音楽を紡ぎだせる」と解説されています。

音楽をどのように表現するか、きっと音楽家の皆さんはそれを常に追求されているのでしょうね。

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