《ベルトウェイ狙撃事件》犯人は二人組、「父」と慕われた男は少年を優秀な殺人者に育てあげた

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投稿日:2023年6月11日 | 最終更新日:2023年7月27日

母ウナに振り回される生活

1996年と1999年にリー・ボイド・マルヴォはヨーク・キャッスル高校に通っています。

その頃の様子をヨーク・キャッスル高校の司書ジョイ・ベイリーさんは「当時皆リー・ボイド・マルヴォの事を愛していたし今でもそうだけれど、彼自身は安心できる家庭がなかったので本来子どもが感じるべき愛情を感じていなかった」と話しています。

そして、それでもリー・ボイド・マルヴォは模範的な生徒であり、いつも他人を助けるような子どもであったといいます。

リー・ボイド・マルヴォは当初母ウナの友人と暮らしていたようですが、12歳頃には新卒教師の従妹セモーネ・パウエルと一緒に暮らしていたようです。

一緒に暮らした従妹のセモーネさんは「その当時リー・ボイド・マルヴォは学校に通い幸せな時間を過ごしていたけれど、たまに自分の中に引きこもる事があった。私が彼に”どうしたの?”と尋ねると”僕には誰もいない、僕には本当の家族がいない、なんで僕なんだろう”と答えた」とインタビューで話しています。

またより生活しやすい場所へ引っ越そうとした時、引っ越し当日に姿を隠したリー・ボイド・マルヴォはセモーネさんに

『大人たちは、いつも僕を引っ越しさせる!僕はペットも鳥も猫も飼っていないし、住所も決まっていない!』

そう言葉をぶつけたと言います。

リー・ボイド・マルヴォとセモーネさんは幸せに暮らしていましたが1997年の12月、突然母ウナがセモーネの家に訪れます。

その時セモーネさんと笑顔でかくれんぼをしていたリー・ボイド・マルヴォは母ウナを見た途端笑顔を消し「彼女に僕を連れて行かせないで!彼女は僕を連れて行くつもりだ!」と叫んだと言います。そして、そのとおりになってしまいました。

しかしリー・ボイド・マルヴォを連れ去った母ウナは1998年春には再びリー・ボイド・マルヴォをセント・アン教区の学生寄宿舎へ入れセント・マーチン島へ出稼ぎに行ってしまいました。

学生宿舎の子ども達は週末には家に帰りましたが、リー・ボイド・マルヴォは帰る場所がなかったので週末は1人で過ごしていたようです。

当時リー・ボイド・マルヴォの担任教師だったウィンサム・マクスウェルさんはそんな彼をみかねて母ウナに、週末マクスウェルさんの父と共にリー・ボイド・マルヴォと一緒に過ごしていいか確認します。

母ウナがそのことを了承したため、リー・ボイド・マルヴォは週末はマクスウェルさんと過ごせることになりました。

マクスウェルさんは週末をリー・ボイド・マルヴォと過ごすうちに彼を息子のように思うようになります。1999年の夏、彼女はリー・ボイド・マルヴォに「ウチに引っ越してこない?」と聞きました。その時リー・ボイド・マルヴォは目を輝かせて「本当に?」と言ったといいます。マクスウェルさんはリー・ボイド・マルヴォを養子として迎え入れるつもりでした。

しかし再び母ウナによってリー・ボイド・マルヴォの幸せは壊されてしまいます。

6か月ほどリー・ボイド・マルヴォと一緒に生活していたマクスウェルさんへ当時アンティグアに住んでいた母ウナから「リー・ボイド・マルヴォをアンティグアに戻してほしい」と連絡が入ります。その後航空券も送られてきました。

マクスウェルさんはリー・ボイド・マルヴォに「ウナはあなたの母親です。あなたはウナの元へ行かなくてはならない」と伝えました。

結局リー・ボイド・マルヴォはまた母ウナの元へ戻る事になります。マクスウェルさんがリー・ボイド・マルヴォを空港へ送った時、彼は泣きませんでした。何度も何度も振り返りながらただただ歩いて行きました。

ジョン・アレン・ムハマドとの出会いと洗脳

ジョン・アレン・ムハマドの人となりとリー・ボイド・マルヴォの出会い

母ウナに呼び戻されたアンティグア。そのアンティグアの家の1.5~3㎞の場所に後に父のように慕うジョン・アレン・ムハマドが住んでいました。

当初ジョン・アレン・ムハマドは11歳、12歳、14歳の子ども達と住んでいましたが、実は2番目の妻ミルドレッドとの親権争いの最後の悪あがきでワシントン州から連れてきていたものでした。

そしてジョン・アレン・ムハマドは子どもの扱いがとても上手かったようです。

He gave the children discipline, and they loved him for it. He was not harsh or unfair. It was discipline mixed with love and care. If they had done something wrong, he’d say, ‘Drop and give me 50.’ And the children would drop and do the 50 push-ups, just to please him.”

彼は子ども達を躾ました、そして子ども達はそれゆえに彼を慕いました。彼は厳しくも不公平でもありませんでした。それは愛と配慮を織り交ぜた躾でした。

子ども達が何か悪さをしたとき、彼はこう言います「やめて私に50ドル払ってください」。

すると子ども達は彼を喜ばせる為に50回の腕立て伏せをしました。

www.vanityfair.com SEPTEMBER 1, 2004

同様に人々の心の中に入り込む事を本能的にできる人物であったようです。

リー・ボイド・マルヴォとジョン・アレン・ムハマドがいつ出会ったのかははっきりしていません。ジョン・アレン・ムハマドは逮捕された後、最後まで自分自身とリー・ボイド・マルヴォの事に対して黙秘したままでした。

ある時ジョン・アレン・ムハマドはリー・ボイド・マルヴォを連れて地元の電気店「Za Za Electronicss社」に立ち寄ります。そこの店員と経営者夫婦に「これはアメリカから来た私の息子です」とリー・ボイド・マルヴォを紹介しました。

しかししばらくすると彼らはリー・ボイド・マルヴォが「アメリカから来た」という事に違和感を感じ始めます。なぜなら、リー・ボイド・マルヴォがあまりにも控えめすぎたからです。彼らが今まで見てきたアメリカ人像と違ったのです。

ある時リー・ボイド・マルヴォははずみでジャマイカのパトワ語を口にしてしまいます。それを聞いた電気店の奥さんは「あなたアメリカ人じゃないわね?ジャマイカ人でしょ!」と言いましたが、リー・ボイド・マルヴォは「僕はジャマイカで生まれたけど母はアメリカにいて、ジョンと結婚している」と言いました。

実は2000年の冬頃からジョン・アレン・ムハマドは米国移民書類の偽造に着手していました。2000年12月ウナはアメリカに入国する為にジョン・アレン・ムハマドから偽造書類を買っていました。そしてウナはフロリダのフォートマイヤーズへ移動しリー・ボイド・マルヴォを再び置き去りにしています。

ジャマイカに居た頃はそれなりにサポートも受けられていたし叔母、従妹、友人がいましたが、アンティグアには何もありませんでした。リー・ボイド・マルヴォは元居た家を出て水道もトイレもない部屋へ引っ越しましたが、電気料金が支払えない為じきに電気も止められそうな状況でした。

そして2000年1月までにリー・ボイド・マルヴォはジョン・アレン・ムハマドの息子として彼と一緒に暮らしはじめました。

そこからリー・ボイド・マルヴォへの洗脳は進んでいきます。

イスラム教の教義の刷り込みと不幸な再会

当初同居が始まった頃はジョン・アレン・ムハマドとリー・ボイド・マルヴォは「個人の正義と自己向上の為の単純な人間探求について語りあう」だけで、暴力に関する話はしていなかったようです。

そしてリー・ボイド・マルヴォは同居後かなり早い段階でキリスト教からイスラム教へ改宗しています。

はたから見たジョン・アレン・ムハマドの家族とリー・ボイド・マルヴォの関係は信頼と愛情に満ちた本当の家族のように見えていました。

ジョン・アレン・ムハマドはリー・ボイド・マルヴォや自分の息子たちの就寝時に自己啓発やイスラム教のプロパガンダ等を朗読したテープを聞かせていました。

しかしリー・ボイド・マルヴォの友達は彼の変化に気づき始めていました。リー・ボイド・マルヴォはジョン・アレン・ムハマドに会う前はスポーツや女の子のこと、ゲームや学校について興味をもっていたのに、いつの間にかキリスト教の学校の中友達とイスラム教について議論するようになっていました。

そしてそれまで話したこともなかったバズーカ砲や拳銃などの話を詳しくするようになり、やせっぽちだった身体は筋肉質になっていました。

そしてイスラム教の議論をすることでだんだんクラスの雰囲気は悪くなり、2000年12月にはリー・ボイド・マルヴォは学校に行かなくなってしまいました。

2001年に実はリー・ボイド・マルヴォは再び母ウナと一緒に暮らしています。8月にサイプレス・レイク高校3年生として入学しました。彼は大学に進学し民間パイロットになる夢を実現する準備をしていました。

学校が始まってすぐリー・ボイド・マルヴォは大学入学前の試験を受けそれが十分な成績だった為大学側から大学希望者の共通テスト「Standardized Test」S.A.Tを受けるよう指示されます。

S.A.Tを受ける為には米国の社会保障番号が必要でした。しかし不法移民のリー・ボイド・マルヴォは社会保障番号を持っていませんでした。リー・ボイド・マルヴォと母ウナは社会保障番号を手に入れる為にジョン・アレン・ムハマドの養子になる事を考えました。

母ウナはジョン・アレン・ムハマドのところへ行くためのバスのチケット購入までしましたが、その後気が変わりバスのチケットを隠してしまいます。しかし隠し場所を知っていたリー・ボイド・マルヴォはそのチケットを見つけ出しジョン・アレン・ムハマドの元へ戻ってしまいます。

その頃ジョン・アレン・ムハマドの状況も変わってしまっていました。公立高校へ子ども達を入学させたことで子ども達の名前と親権保護令状の名前が一致している事が発覚し、子ども達の親権を持つ元妻ミルドレッドへ子ども達は引き渡されてしまっていました。

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