《ベルトウェイ狙撃事件》犯行動機は何だったのか?
捜査当局の見立て
公判で捜査当局と検察側はジョン・アレン・ムハマドの犯行動機は自分と子供たちを引き離した2番目の元妻ミルドレッドを殺し、彼の子ども達を連れ戻す事だったと主張しました。
連続狙撃事件は犯行動機を隠蔽するためのもので、ミルドレッドが連続殺人犯の被害者のように見えれば、警察は別居中の元夫であるジョン・アレン・ムハマドを容疑者として取り上げることはないという考えから無差別で連続して狙撃事件を起こしたと主張しました。
ジョン・アレン・ムハマドは狙撃事件を起こしている間、彼女が住んでいた近所に頻繁に出入りしており、ミルドレッドに離婚を勧めた女性の親族も殺害しています。
さらに、彼は以前からミルドレッドを脅迫していました。
ミルドレッド自身も自分が彼の標的だったと警官から聞かされたと主張しました。
しかしそれらは関連性が認められないとして当局側の主張は退けられました。
リー・ボイド・マルヴォの驚くべき証言 現場に残された「死神」とメッセージ
しかし2006年の公判ではリー・ボイド・マルヴォからはこんな証言が飛び出しました。
全ての狙撃事件目的はの政府から金を脅し取るために子供たちを誘拐することで、その得た金を使いカナダに黒人の孤児達の為のユートピアを作る事だったと。
そのユートピアでは子ども達をリー・ボイド・マルヴォのように教育し、世界を正す為の革命をおこす事が目的だったと。
そのことを裏付けるように、狙撃現場付近の一つには「Call me God」とメッセージの書かれたタロットカード【DEATH(死神)】が残されていたり、狙撃を止めたければ政府は1000万ドルを支払えという走り書きのメッセージや、子どもに危害を加えると脅迫の書かれたメッセージが複数の狙撃現場付近に残されていました。
また、ジョン・アレン・ムハマドは白人に対する強い憎しみをもっていた事も証言しています。
《ベルトウェイ狙撃事件》賢く優秀だった少年が洗脳されるまでの道程
癇癪持ちの母親に振り回され孤独を強いられた少年
父レスリーとの別れと学校を転々とする日々
犯人の一人リー・ボイド・マルヴォに過去かかわってきた人たちはみな一様に「彼は優秀で人一倍優しく、皆を笑わせる事の好きな子どもだった」と言います。
リー・ボイド・マルヴォは1985年にジャマイカ人のレスリー・マルヴォとウナ・ジェームスの子どもとして生まれました。二人が出会った時レスリーは30代後半、ウナは20歳でした。
レスリーはリー・ボイド・マルヴォの幼い頃毎晩のようにアイスクリーム屋に連れて行きアイスクリームを食べ友人とドミノで遊んだ事が一番の思い出だと語っています。レスリーの思い出の中のリー・ボイド・マルヴォは礼儀正しく素直な子どもでした。
しかし気性の激しいウナと純朴で楽天的なレスリーは次第にぶつかる事が多くなりリー・ボイド・マルヴォが5歳の時両親は別れてしまいます。
その結果リー・ボイド・マルヴォは母親ウナが育てる事になりましたが、母親ウナとリー・ボイド・マルヴォが一緒に暮らしていたのは9歳まででした。
1994年リー・ボイド・マルヴォが9歳の時、母ウナは生活費を稼ぐ為友人たちにリー・ボイド・マルヴォを預けより多く稼げる可能性のあるセント・マーチン島へ出稼ぎに行ってしまいます。
ちなみに8歳までの間にリー・ボイド・マルヴォは7回転校し、15歳になるまでに更に5回転校しています。
リー・ボイド・マルヴォが母ウナと離れて生活していた1995年、リー・ボイド・マルヴォ10歳の時彼は父レスリーに会いに行っています。
その時父にどこに住んでいるのか尋ねられたリー・ボイド・マルヴォは「母にぶたれるので言えない」と答えています。
その後何度か二人は会っていたようです。リー・ボイド・マルヴォは父に引き取られることを望んでいましたが父レスリーは再びウナと接触する事が耐えられず、その望みをかなえる事はありませんでした。


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