《ベルトウェイ狙撃事件》犯人は二人組、「父」と慕われた男は少年を優秀な殺人者に育てあげた

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投稿日:2023年6月11日 | 最終更新日:2023年7月27日

子どもへの執着と最後のトリガー

4か月間ジョン・アレン・ムハマドは元妻ミルドレッドと子ども達の居場所を必死で探しましたが、まったく居場所はわからなかったようです。

ジョン・アレン・ムハマドの心の中は子ども達を取り戻す事しか考えられなくなっていたといいます。

そしてちょうどその頃にジョン・アレン・ムハマドの前にリー・ボイド・マルヴォが戻ってきてしまったのです。

ジョン・アレン・ムハマドからリー・ボイド・マルヴォへの洗脳はそこから徐々に過激なものになって行きました。

かつてジョン・アレン・ムハマドが就寝時に聞かせていたテープの内容は自己啓発的なものでしたが、それらはマルコムXやルイス・ファラカーンの人種憎悪的な主張のものに入れ替わり、白人は黒人を憎んでいて刑務所はほぼ全ての黒人男性が行きつく場所であり、そうでない黒人男性は最終的に軍隊に強制徴兵されるという演説を毎晩繰り返し刷り込まれました。

そしてジョン・アレン・ムハマドはリー・ボイド・マルヴォの運動、食事、思考、生活のすべてをコントロールし始めました。

ジョン・アレン・ムハマドとリー・ボイド・マルヴォはこの再会の後にもまた母ウナが警察に「息子が誘拐された」と通報したことにより引き離されるのですが、最終的にリー・ボイド・マルヴォはジョン・アレン・ムハマドのところへ自らの意思で戻ってしまいます。

再び合流したジョン・アレン・ムハマドとリー・ボイド・マルヴォは警察から身を隠し、黙々と射撃や、狙撃の訓練を積んでいったようです。

そして2002年2月16日、リー・ボイド・マルヴォの17歳の誕生日の2日前リー・ボイド・マルヴォは初めて人に向けて拳銃を発射しました。被害者はジョン・アレン・ムハマドの元妻ミルドレッドに離婚を勧めた人物の姪でした。

《ベルトウェイ狙撃事件》最後に 

ジョン・アレン・ムハマドは死刑が確定し、2009年11月10日死刑執行されました。彼は最後まで事件についてはほぼ黙秘を貫いたようです。

リー・ボイド・マルヴォは仮釈放なしの終身刑になりました。

彼は逮捕後、複数の心理の専門家と話す事でほぼ洗脳される前の彼に戻ったようです。リー・ボイド・マルヴォは刑務所内で通信講座を受講しており、最初の試験は全てAを取得したそうです。

しかし2004年の時点ではたまに洗脳された状態の言葉を発することもあったようで、それに関してリー・ボイド・マルヴォは「夜眠っているとテープの声がよみがえって、それを聞くと怒りが心の中に戻ってくるんだ」と語っています。

紙に走り書かれた政府への1000万ドルの要求のメッセージなどはリー・ボイド・マルヴォが書いていたものでした。彼を突き動かしていたものはジョン・アレン・ムハマドに刷り込まれた「世界を革命する使命」だったのでしょう。そしてそれを信じたからこそ彼は葛藤しながらも突き進んでしまったのでしょう。

しかし、ジョン・アレン・ムハマドに近しい人たちはそれは建前だっただろうと考えているようです。彼らに見えたのはジョン・アレン・ムハマドの子どもに対する執着で、元妻ミルドレッドを殺害し子ども達を奪還することが目的だったのだろうと思っています。実際リー・ボイド・マルヴォは元妻ミルドレッドさんの住所を知っていて、何度も家を張り込んでいたと認めています。

リー・ボイド・マルヴォはジョン・アレン・ムハマドを父のように慕っていました。ジョン・アレン・ムハマドが子ども達と共にいられた時はその関係は悪いものではなかったのかもしれません。

もしリー・ボイド・マルヴォがウナの子どもでないか、それまで彼を保護したいと考えた人々の内の誰かと家族になれていれば賢く優しい17歳の少年は残りの月日全てを牢屋で過ごすことになるような人生ではなかったかもしれません。

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