足をもたずに生まれた少女。障がいをものともせず自在に体を使いアクロバットパフォーマーに。憧れたのは6歳年上のオリンピック金メダリスト。実は彼女は実の姉だった。
【ジェニファー・ブリッカー】どんな人?家族は?
ジェニファー・ブリッカーさんは生まれながらにして足がありませんでした。そのことを理由に生後数ヶ月で養子に出されています。
ジェニファーさんは養父母と兄3人の家庭で育ちました。
養父母はジェニファーさんを引き取る時医師にバケットのようなものに入れて移動するのがいいとアドバイスされましたがそうせず、ジェニファーさんを健常者と同様に扱いました。
そのお陰でジェニファーさんはじきに手と臀部を使って移動することを学び、木に登り(!!)兄達とトランポリンで一緒に遊び、そうやって成長していきました。
学校でも健常の子ども達に交じって一緒に遊んでいたようです。ジェニファーさんの養父母が彼女を特別扱いしなかったのでジェニファーさん自身も足がない事実はあるにしても「自分が他の人と違う」とは思っていなかったといいます。そして「足がない」ことが自分のやりたいことを妨げる障害にならなかったとも語っています。
ジェニファーさんは「足がない」というハンディキャップを負っているにも関わらずそれを全く感じさせない業績を残しています。
ジェニファーさんは子どもの頃パワータンブリングという競技で大会に参加しています
そして11歳の時にはアメリカのジュニアオリンピック(タンブリング競技)で健常者に混じって参加(!)し4位という成績を残しています。その年には米国タンブリング協会の「インスピレーション賞」を受賞しています。
タンブリング競技に参加することに対してジェニファーさんは自分の障がいにたいするハンデをつけられることを全く望んでいませんでした。そうすることで「実力で」判断されると確信していたからです。
競技会場でジェニファーさんを見た観客はその姿に驚きを隠せませんでした。
「この子足がないのに競技できるの!?」
そういぶかしんでいた観客は競技が始まると健常者に負けない演技をするジェニファーさんに今度は惜しみない歓声と拍手を送りました。
【ジェニファー・ブリッカー】何故体操を始めたの?
ジェニファーさんが体操を始めるきっかけは1996年に開催されたアトランタオリンピックでした。
アトランタオリンピックに出場していたアメリカ女子体操チームの最年少(14歳)のメンバーだったドミニク・モセアヌさんを見て、自分と年齢が6歳しか違わない子どもの姿の彼女に親近感を抱きました。
親近感を抱いた理由はもう一つありました。それはドミニク・モセアヌさんの容貌がとてもジェニファーと似ていたのです。
ジェニファーの実の両親はルーマニア人でした。そしてドミニク・モセアヌさんの両親はルーマニアからの移民でした。そして養女だったジェニファーのまわりにはルーマニア人は一人もおらず、ジェニファーに「似た人」は今まで一人もいなかったのです。
アトランタオリンピックで体操アメリカチームは金メダルを獲得しました。それを見ていたジェニファーさんは体操選手になる決心をしました。そしてジェニファーさんはドミニクさんの熱烈なファンになりました。
自分と6歳しか違わない、自分と同じ人種のドミニク・モセアヌさんの活躍はまるで自分自身の出来事のように感じられたのでしょうね。
後にわかることなのですが、実はドミニク・モセアヌさんはジェニファーの実の姉だったのです。
【ジェニファー・ブリッカー】オリンピック金メダリスト ドミニク・モセアヌさんてどんな人?家族や兄弟は?
ドミニク・モセアヌさんは1996年アトランタオリンピックで金メダルを獲得したアメリカ女子体操チームのメンバーの1人です。
戦績は
- 1994年 全米選手権 個人総合(ジュニア) 優勝
- 1995年 全米選手権 個人総合 優勝
- 1996年 全米選手権 個人総合 3位
- 1996年 アトランタオリンピック 団体 優勝(※個人総合9位)
など素晴らしい成績を残されています。
ドミニクさんの両親はルーマニアのチャウシェスク政権から逃れアメリカ移民となりました。両親は二人とも体操選手権でした。
ドミニクさんには妹が1人います。しかし実はもう一人産まれてすぐに養子に出された妹がいました。それがジェニファー・ブリッカーさんでした。
ジェニファーが産まれた時、父親も大きな病気を患っていて大きな障がいを持つジェニファーさんの医療費を払えない事を懸念した父親はジェニファーさんを養子に出すことを決断します。母親はそれに意見を言うことは許されませんでした。
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