《ベルトウェイ狙撃事件》犯人は二人組、「父」と慕われた男は少年を優秀な殺人者に育てあげた

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投稿日:2023年6月11日 | 最終更新日:2023年7月27日

無差別銃撃事件、姿なき殺人者、毒親のせいで孤独を生きなくてはならなかった少年、見えないスナイパー、残された「死神」のカード。2002年アメリカを震撼させた連続狙撃事件について調べてみた

事件概容
  • 2002年10月2日から始まった13人の一般人の狙撃事件。その内10人が亡くなった。負傷者には13歳の子どもも含まれる。
  • 事件はワシントンD.C近くのメリーランド州とヴァージニア州で発生した。
  • 犯人の姿が見えない無差別狙撃事件にワシントンD.C近郊は震撼した。子供たちは単独登下校禁止、住民たちは屋外での行動を制限された。
  • 1件の狙撃事件後、現場から白いバンが走り去るのを見たという目撃情報があった為当初警察は白のバンをターゲットとして捜査していた。
  • しかし犯行に使われていた車は青色のシボレーカプリスだった。車のナンバープレート付近のトランクに穴を空けそこから狙撃をしていた。また車内からトランクに入ることができるように後部座席とトランクの間の板金は取り外されていた。
  • 10月23日に二人の黒人男性が逮捕された。一人は湾岸戦争に従軍した元軍人であるジョン・アレン・ムハマド(41歳)、もう一人はジャマイカ国籍のリー・ボイド・マルヴォ(17歳)だった。
  • 実は2002年2月からその他の州で発生していた狙撃事件もジョン・アレン・ムハマドとリー・ボイド・マルヴォによる犯行だった。
  • 2002年2月から10月までの8か月間の狙撃事件での死亡者は17名にのぼる。事件現場はメリーランド州、バージニア州、ワシントンD.C.、アリゾナ州、アラバマ州、ルイジアナ州、ジョージア州、ワシントン州と複数の州にまたがっていた。

《ベルトウェイ狙撃事件》ベルトウェイって何?

ベルトウェイ狙撃事件の犯行現場

ジョン・アレン・ムハマドとリー・ボイド・マルヴォの引き起こした事件は「見えないスナイパー」としてアメリカのメディアで大きく取り上げられましたが、「ベルトウェイ狙撃事件」とも呼ばれています。

この「ベルトウェイ」とは何のことでしょう?

都市の外側を回る高速道路のことをベルトのように丸く通っていることから「ベルトウェイ」と呼ぶそうです。「the Beltway」と最初の”b”を大文字の”B”で示すときそれは特にワシントンD.Cの高速道路を示す事になるそうです。

そのことから大文字”B”で始まる「Beltway」はワシントンD.Cのニックネームとしてもつかわれるそう。

ベルトウェイ狙撃事件は英語でBeltway sniper attacksと表現します。これはつまり「 D.C. sniper attacks」ワシントンD.C狙撃事件という意味合いで使われている事になります。

《ベルトウェイ狙撃事件》うかつな挑発電話から一気に逮捕へ

2002年FBIがメリーランドで発見した青のシボレーカリプス

最初は白のバンを追っていた警察当局ですが、なぜ青のシボレーカリブスに乗っている二人を逮捕する事ができたのでしょうか?

きっかけは10月17日にかかってきた電話でした。

「1カ月前にアラバマ州モンゴメリーで起きた酒屋強盗事件で、女性を2人殺害した(※実際には1人殺害)のは自分だ」

と警察をからかうように犯人から直接電話がかかってきたのです。

この電話からの情報により以下のような流れで一気に事件は解決にむかっていきました。

  • 電話での説明と同じような犯罪が実際に起きていたこと、そしてその事件から指紋と弾丸の証拠が入手できたことを確認。
  • 狙撃現場に落ちていた雑誌についていた指紋が、過去にワシントン州で逮捕されたリー・ボイド・マルヴォの指紋と一致。
  • その逮捕記録の中にジョン・アレン・ムハマドの名前もあった。
  • ATF(アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)の協力により、ジョン・アレン・ムハマドが犯行に使用されたライフルを所持していたことが判明。また元妻への接近禁止令を破っていたことから告発が可能となった。
  • 10月22日に犯罪記録データベースを検索したところ、ムハンマドが青いシボレー・カプリスをナンバープレート「NDA-21Z」で登録していたことがわかりその情報はニュースメディアに伝えられ、広く共有された。

ニュースで青いシボレーカリプスとナンバープレートの情報が流されたことから犯行車両の発見、逮捕へと繋がっていきました。

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