2023年春の朝ドラ『らんまん』モデル牧野富太郎博士は高知県に生まれ、明治から昭和30年代まで活躍した植物学者であり「日本の植物分類学の父」と呼ばれている。ただただ黙々と90年余、植物を愛し探究した植物オタク牧野富太郎博士のゆかりの地を探ってみた。
牧野記念庭園公園
愛妻寿衛子が富太郎の為に選んだ終の住処
牧野記念庭園公園は練馬区東大泉にある。これは牧野富太郎が1926年(大正15年)から94歳で没するまで過ごした住居跡と庭の植物園を練馬区が管理しているものである。都会は火事が多く自宅にある富太郎の大量の研究資料の焼失を心配した愛妻・寿衛子の「火事の危険性のないところ」という希望に沿って選ばれた地が大泉だった。残念ながら寿衛子は牧野邸完成後間もない昭和3年55歳で亡くなっている。しかし寿衛子の「いつかこの地に植物園を」という夢は現実のものとなった。
施設情報
名称 | 練馬区立牧野記念庭園 |
所在地 | 東京都練馬区東大泉6-34-4 |
電話/FAX | [電話] 03-6904-6403 [FAX] 03-6904-6404 |
開館時間 | 午前9時から午後5時 (※企画展は午前9時30分から午後4時30分まで) |
休園日 | 火曜日(火曜日が祝日のときは開館し、翌日休館) 年末年始(12月29日~1月3日) |
入館料 | 無料 |
公式サイト | 牧野記念庭園情報サイト |
公式SNS | 牧野記念庭園記念館Staffツイッター |
MAP
入口に見ごろ案内があるとの事。これは嬉しい。
庭園はもともと牧野富太郎博士が「我が植物園」として大切にしてきた自邸の庭が基である。現在約300種類の草木類があり、なかにはスエコザサやセンダイヤザクラ、ヘラノキなどの珍しい種類の植物も数多くあるという。そのため学術的にも貴重なものであると評価されているとの事。
常設展示では牧野富太郎博士が研究のため愛用した道具、日用品、直筆の執筆原稿、植物に関する書物、博士が採集した植物標本などの資料が見られるようだ。
高知県立牧野植物園
牧野富太郎生誕の地
牧野富太郎は高知県高岡郡佐川町で生まれた。幼少の頃から家の裏手にあった山に登って植物を採ったり観察したりしていたという。
富太郎の逝去翌年1958年、富太郎の業績や功績を広く伝えるため高知県高知市五台山に高知県立牧野植物園が開園された。1999年には敷地を拡張し植物に関する教育普及と研究の拠点となる「牧野富太郎記念館」を新設している。
施設情報
名称 | 高知県立牧野植物園 |
所在地 | 高知県高知市五台山4200-6練馬区東大泉6-34-4 |
電話 | 088-882-2601(代表) |
開館時間 | 9:00~17:00 (最終入園16:30) |
休園日 | 年末年始 12/27~1/1 ※メンテナンス休園 2022/9/26、11/28、 2023/1/30、5/30、10/30、11/27、 2024/1/29 |
入館料 | 一般730円 (高校生以下無料) 団体630円 (20名以上) 年間入園券2,930円(1年間有効のフリーパス) |
夜間入館料 | 17:00以降、一般500円(高校生以下無料) ※夜間イベント 「夜の植物園」「五台山 観月会」「桜の宵」 入園料730円 |
公式サイト | 高知県立牧野植物園 |
公式SNS | Instagram 花情報Instagram |
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くろしおくんによる高知県立牧野植物園紹介
高知県イメージキャラクターくろしおくんが高知県立牧野植物園を紹介している。
名教館
牧野富太郎の知識の土台
牧野富太郎は明治5年10歳頃から寺子屋に通い始める。その後寺子屋が廃止になり名教館へ移動。そこで漢学・地理・天文・物理を学んだ。
名教館は多くの維新志士や偉人を輩出した施設で、もとは1772年(安永元年)に佐川領主が私塾として創設したものだが、その後藩士の子弟の教育のための学校となった。牧野富太郎が通っていた時代も生徒のほとんどは侍の子どもであり、町民は富太郎含め2人だけだったと自叙伝にはつづられている。
明治政府からの廃藩置県・学制の発令により「佐川小学校」と改名した。2013年(平成25年)佐川町上町地区へ移築した。
現在は県指定文化財となっている。
施設情報
名称 | 名教館 |
所在地 | 高知県高岡郡佐川町甲1510 |
MAP
名教館のある佐川町甲の酒蔵の道周辺にはその他にも牧野富太郎の生家跡地にあるふるさと館や、富太郎の通った伊藤蘭林の寺子屋跡地などがある。
牧野富太郎ってどんな人?その人生をまとめてみた
参考
コメント
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