「黙れ!馬鹿猫!」
のようないわゆる「煽り」と呼ばれるものが多かったようです。この「馬鹿猫」とは2ちゃんねるのスレッドに貼り付けられるアスキーアートの「ギコ猫」の事で

当時少年Aが書き込みをしていたスレッドでは当初ブラウザクラッシャーと呼ばれるWeb閲覧を阻害するHTMLコードの連続貼り付け等が行われていて、少年A「キャットキラー」の書き込み自体はスレッド内の空気として普通だったようです。
その当時はスレッド内で煽りあいながらもお互いにそれを楽しんでいる空気もあったようで、ごく稀に「それより、みんなで平成狸合戦ぽんぽこ見ようよ」などとも書き込んでいたようです。
スレッドで煽りあいが続く中で少年A「キャットキラー」はスレッド内キリ番1000への書き込みができなければコテハン「キャットキラー」を返上すると宣言します。
少年Aは900番台後半、ひたすら一人で書き込みを行っていたようです。しかし最後の最後1000番の文章の打ち込みをしている間に1000番をとられてしまいます。

「ネオ麦茶」にコテハンを変更してから少年Aは少年犯罪を賞賛する書き込みを繰り返して猛烈なバッシングをうけています。
少年Aは手記にも、当時発生した高校生が面識のない老夫婦を殺傷した「豊川市主婦殺人事件」の犯人を賞賛する書いていました。
そして5月3日の昼にとあるスレッドが立ちます。
スレッドのタイトルは
「佐賀県佐賀市17歳・・・。」
「ネオ麦茶」のコテハンでただ「ヒヒヒヒヒ」とのみ書き込んでありました。
《17歳少年 西鉄バスジャック事件》少年Aが取り調べで話したこと
少年Aは取り調べで、
「世の中に腹が立っていた。見返してやりたかった。」
「世間に注目されたかった。目立ちたかった。」
と供述しています。そして佐賀県の精神科へ入院していた時から「一時帰宅の日に決行する」と決めていた計画的犯行だったとも供述しました。
当初少年Aは自分の卒業した中学校で事件を起こす計画だったようです。ゴールデンウィークで休校だった為にバスジャックに目的を切り替え、そして実行してしまいました。
《17歳少年 西鉄バスジャック事件》被害者女性との交流 少年Aは改心したのか?
事件で少年Aに牛刀で刺され九死に一生を得た女性Yさん。Yさんはその後少年Aと交流をしています。事件で一緒にバスに乗車したご友人は残念ながら帰らぬ人となってしまいました。
被害女性Yさんが少年Aへに対して感じたこと
Yさんは事件の時、隙を見て警察へ通報を行った「人質」の行動の連帯責任として少年Aに切りつけられています。Yさんの友人はその後隙を見て窓から飛び降りた乗客の連帯責任として刺されました。
そんな状態でありながらYさんは少年Aに対して
「この子も私の傷と同じくらい傷ついている……」
と感じていました。
その後警察の交渉でけが人が解放されるチャンスが訪れますが、その時少年Aは
「こいつしぶといな、殺してやろうか」
とつぶやきましたが、少年の側にいた女性の
「もういいでしょ」
の言葉でそれを実行することはありませんでした。その様子を見ていたYさんは「少年Aは暴走する自分を誰かに止めてほしかったのでは」と感じたそうです。
被害女性Yさんはなぜ少年Aを思いやる事ができたのか?
実は被害女性Yさんにも学校で酷いいじめにあい、不登校になっていたお子さんがいたのです。
被害者Yさんはずっと少年Aと話す事を希望していました。そしてついに医療少年院で少年と面会します。
被害者Yさんと面談した少年Aは被害者Yさんに深々と頭を下げたそうです。
「これまで誰にも理解してもらえなくて辛かったね」
被害者Yさんは少年Aにそう声をかけて、そして抱きしめながら泣きました。自分のお子さんの姿と少年Aの姿が重なっていたのです。
そして少年Aにこう伝えます。
これで赦したわけではなく、赦すのはこれからで、これからの生き方を見ていきます。
と。
少年Aと被害者Yさんとの交流
その後少年Aは被害者Yさんへの手紙にこう書き記していました。
「私のことを思って泣いてくださった時、自分の罪深さと温かい思いが同時に沸き起こりました」
その後も被害者Yさんと少年Aは面会や文通を重ねたそうです。そして少年Aは被害者Yさんを信頼して本音を打ち明けてくれるようにまでなったそうです。
《17歳少年 西鉄バスジャック事件》まとめ
- 2000年(平成12年)5月3日に発生した牛刀を持った17歳の少年によるバスジャック事件
- 死亡1名、負傷者2名
- 少年Aは中学校でいじめを受け、それから守ってくれない大人や社会に不満をかかえていた
- 2ちゃんねるへ書き込みで「注目されたい、目立ちたい」という気持ちが増大していったか?
- 被害者Yさんとの交流とケアにより少年Aは改心できたのか?
その後、この西鉄バスジャック事件を模倣する事件が複数起きていて、その影響力の大きさが垣間見えます。
少年Aは逮捕後、医療少年院に送られ2006年1月に仮退院し社会復帰訓練を始めたとされています。
もし中学校でのいじめを周りの大人達がきちんと対処できていたら、もっと早い時点で少年Aの心に寄り添う事の出来る人物に出会えていたら。
そもそもこの事件は起きなかったのでは?と思わずにはいられません。
彼が犯してしまった罪は彼が生涯負っていかなくてはならない大きなものです。世間からの風当たりも柔らかなものよりも厳しいものの方が多いことは想像に難くありません。
願わくばその厳しい風にまた負けることなく、背負ってしまった罪を忘れず生きて行ってほしいと思います。


コメント