【マードック一族】王国を築いた法曹一族!妻子殺害で終身刑

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投稿日:2023年9月21日 | 最終更新日:2023年9月21日

サウスカロライナ州ハンプトンで絶大な権力を持っていたマードック一族。一族周辺で起こる死亡事故、いったい何が起こっていたのか?そこから何が起こったのか?マードック一族について調べてみました。

マードック一族
  • 1920年~2006年の86年間サウスカロライナ州ローカントリー地域の”巡回弁護士(選出された検察官)”を務めた家系。初代ランドルフ・マードックから息子、孫へとその地位は受け継がれた。その事から地元の人々はマードック一族が”巡回弁護士”を務める地域を「マードック・カントリー」と呼称するようになった。
  • 初代ランドルフ・マードックはサウスカロライナ州ハンプトンに民事訴訟法律事務所を設立した。現在は人身傷害訴訟の専門事務所となっている。
  • マードック一族が”巡回弁護士”として管轄する地域は不正が横行し、その地域では“裁判”よりも”示談”によって「貨幣」で解決されることが常だった。
  • 2021年、マギー・マードックと息子のポール・マードックが射殺された。犯人として父親のアレックス(リチャード・アレキサンダー・マードック)が逮捕、起訴された。

【マードック一族】王国を築いた法曹一族!どんな家系?

マードック一族は1920年から2006年までの86年間3代に渡りサウスカロライナ州のローカントリー地域の”巡回弁護士(選出された検察官)”を輩出した法曹一家です。

3代に渡りマードック一族で”巡回弁護士(選出された検察官)”を務めた事と初代ランドルフ・マードックが設立した法律事務所を一族で経営することにより、マードック一族はサウスカロライナ州の司法に対して絶大な権力を握っていました。

その為、地元の人々はマードック一族が巡回弁護士を務める地域を”マードック・カントリー(マードック国)”と呼称しています。

”マードック国”では不正が横行し、その地域の弁護士たちは事件に対し裁判は行わず示談で解決することが常になっていたようです。

サウスカロライナ州では2000年代初め州法でサウスカロライナ州の住民が”フォーラム・ショッピング”を簡単に行えるようにしました。”フォーラム・ショッピング”とは法律の異なる地域において事件が起こった時、原告が自分に有利な判決を下す可能性の高い地域で訴訟を起こすことです。

サウスカロライナ州の”企業裁判地法”では「事故がどの地区で発生したかに関係なく、州外の会社が財産を所有し、事業を行っている郡で訴訟を起こす」ことが許可されました。この法律によりサウスカロライナ州の住民が事故にあった場合、他の州に本社のある会社であってもサウスカロライナ州で事業を行っている会社であればサウスカロライナ州で裁判を起こす事が可能になりました。

この州法でマードック一族の法律事務所はかなり稼いだようです。

しかしこの法律により企業はサウスカロライナ州に事業所を置く事を忌避し、結果的に「雇用主」が減ってしまいました。

2005年にこの州法は変更され、住民がフォーラム・ショッピングを簡単に行う事はできなくなりました。

【マードック一族】アレックス・マードックの家族周辺で発生した複数の事件

アレックス・マードックはマードック一族3代目ランドルフ・マードック三世の次男です。アレックス・マードックもまた1994年にサウスカロライナ大学法学部を卒業し、弁護士として一族の法律事務所に所属していました。

アレックス・マードックはマーガレット・ケネディ・ブランステッター(愛称マギー)と結婚し、長男リチャードと次男ポールをもうけました。

マロリー・ビーチ 次男ポールの飲酒運転による死亡事故

ポール・マードックの飲酒運転による事故の犠牲者 ”この事故により警察と弁護士がマードック一家を捜査することになった”

マロリー・ビーチさんは2019年2月23日に発生したボートの衝突事故の犠牲者です。ボートを運転していたのはマードック家の次男ポールでした。

事故が発生した日、ポール・マードックは兄リチャードの身分証明書を提示してコンビニエンスストアでアルコールを購入し、飲酒した状態でボートの運転をしていました。事故後にポール・マードックの血中からは法廷限度の3倍以上の濃度のアルコールが検出されています。

ボートにはポール・マードックの恋人と、マロリー・ビーチさんとその恋人を含む5組のカップルが乗っていました。

ボートはマードック家所有のものでした。酔っぱらって様子のおかしくなったポール・マードックに一緒に乗っていた友人から他の人間が運転することを提案されましたが、ポールはそれを拒否していました。

そして酔っぱらったポール・マードックの運転するボートは橋げたに衝突してしまいます。その時マロリー・ビーチさんは冷たい冬の川に投げ出され、遺体が発見されたのは8日後の3月3日でした。

事故当初ポール・マードックはボートを運転していたのは別の人間だったと主張していましたが、怪我の状態から運転していたとされた人物が「乗客」であったことが証明されました。

その後2019年4月18日にポール・マードックは飲酒運転とそれによる過失致死を含む3つの罪状で起訴されましたが、無罪を主張し保釈金により釈放されました。

ポール・マードックは飲酒運転による事故にも関わらず、警察官によるアルコールテストも受けず、留置場へも入らず手錠もされませんでした。このことについてポールがマードック一族の一員であることから特別扱いを受けたのではとの憶測が広がりました。

そして2021年6月7日ポール・マードックとその母マギーは何者かに射殺されてします。当初ポールの父アレックス・マードックはボート事故の報復として殺されたと主張していました。

ポール・マードックの死亡によって、彼に対するボート事故に関する様々な告発は取り下げられていますが、州警察によってポール・マードックの起訴を妨害した人物がいないかどうかの確認調査を始めています。

このマロリー・ビーチさんの死亡事故の他にもマードック家の周りでは不可解な殺人事件が起きています。

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