【ジェニファー・ブリッカー】ドミニク 旧共産国的な体操選手育成システム
ドミニクさんは小さな頃から体操選手になることを期待され、かつて共産国ルーマニアでされたようにとても厳しい練習をかせられ、その中で育てられてきました。
それはとてもハラスメントの強い虐待的な指導であったようです。ドミニクさんの演技が理想に届いていないときは父からの暴力に怯えなくてはならないこともあったようです。
【ジェニファー・ブリッカー】ジェニファーとドミニクの再開
ジェニファーさんの養父母は彼女が養女であることは隠してはいませんでした。ジェニファーさんが16歳の時、いつも隠し事無くジェニファーさんに向き合ってきた養母からジェニファーさんの実の両親はドミニクさんの親と同じであり、ドミニクさんと姉妹であることを伝えられます。
その事に最初驚いたジェニファーさんですが、ドミニクさんと連絡をとることを模索し始めます。
ドミニクさんと連絡を取るにあたり、突然「私はあなたの生き別れの妹です」といっても信用されるわけがないと思ったジェニファーさんは最初実の父親に電話で連絡しました。しかし実の父親はジェニファーさんの存在を秘密にしたかったのか最初の電話以降は電話に応答することはありませんでした。
ジェニファーさんがドミニクさんに出した手紙もすべて実の父親に握りつぶされドミニクさんに届くことはありませんでした。
その一方ドミニクさんは17歳の時に、両親がオリンピック後の収入の内100万ドル(レート100円/ドルとして計算しても1億円!!)を使い込んだ事に対して法廷に訴え裁判を起こしています。その裁判中に父親からの虐待的な躾についても言及しています。
裁判の結果、ドミニクさんは両親から経済的に独立することに成功しました。
そしてついにドミニクさんにジェニファーさんの手紙が届く日がきます。
20歳になったジェニファーさんはドミニクさんに自分が体操始めるきっかけを記した手紙を書きます。
そしてその手紙にはこんな一文が添えてありました。
「自分でも信じられなかったのですが、私のあこがれ続けたアイドルは私の実の姉だったのです!!」
そして26歳になり選手は引退し第一子出産をまじかに控えていたそんなある日、ドミニクさんは両親の署名入りの法廷書類を受け取ります。
その封書の中にはジェニファーさんのしたためた手紙と共に入れた大量の写真が入っていました。その写真に写った女性の顔は自分の顔によく似ていました。
その後状況を整理する為ドミニクさんは母親に連絡を取り1987年に女の子を養子に出したか尋ねました。
ドミニクさんの母親は電話口で泣き出し、ただ一言
「yes」
とだけ答えました。そしてそれ以外何も言葉が出なかったそうです。
その後数週間はドミニクさんの感情は大きく揺れ動いたといいます。
そしてついにドミニクさんからジェニファーさんへ手紙が届きます。
その手紙には情報を処理する時間を持たせてほしい事と、じきに赤ん坊が生まれることが記されていました。
そして出産後の2008年1月14日、ドミニクさんはついにジェニファーさんに電話をかけます。そしてその会話の中でドミニクさんは衝撃の言葉を聞きます。
「ところで、実は私足がないんです。ご存じでしたか?」
ジェニファーさんは生き別れの妹がいた事実だけでも衝撃なのに、その上「足がない」事実を伝える事は負荷が大きいと考え、送った写真は上半身が写ったものだけにしていたのです。
ドミニカさんにとってその衝撃はものすごいものだったでしょうね。だってジェニファーさんはドミニカさんが体操する姿を見て自分も体操を始めたと手紙に書いてあったのです。
それがまさか「足のない状態で」行われていただなんて、到底信じられないですよね。
【ジェニファー・ブリッカー】両足のない奇跡のダンサー 数奇なめぐりあわせ!おわりに
2008年の春、ジェニファー・ブロッカーさんと、ドミニク・モセアヌさんとその妹クリスティーナさんはオハイオ州ではじめて会いました。
姉、ドミニクさんはアメリカに亡命した両親にとって希望の光だったのかもしれません。かつての女子体操界のスター「白い妖精」ナディア・コマネチの再来になる事を期待され、子どもの頃から厳しい訓練を受けていました。体操はドミニクさん自身が望んだわけではなく強制的に両親から課せられたものでした。
そして、足がなかった為に養子に出された妹、ジェニファーさんは優しく賢く誠実な家族に恵まれ自らの身体的なハンディキャップをものともせず力強くその人生を切り開いてきました。体操はジェニファーさん自身が望み、自分の体で表現できることの喜びをもって取り組まれてきたものでした。
ジェニファーさんは2010年、22歳の時実の母親にも会いました。ジェニファーさんの実の母親はドミニクさんや妹にそっくりなジェニファーさんの姿に驚き、あまりの衝撃と喜びに英語で話す事を忘れ、ずっとルーマニア語で話していたそうです。そして二人は熱く抱きしめあったと言います。
ジェニファーさんは自分を捨てた母に対して怒りを感じなかったそうです。そしてそれは育ててくれた養父母がジェニファーを愛し、信じ、誠実に育て「苦しまない自由」を与えてくれたからこそだと信じています。
本当にこんな奇跡のような事があるんですね。健常な体であったが為に親の過剰な期待を背負って育たなくてはならなかった姉と、肢体に欠損があったため捨てられたけれど、そのおかげで素晴らしい養育者と巡り合い自由に自分の望むことを選ぶことのできる人生を手に入れることができた妹。
数奇な運命を歩んできた二人ですが、今では失われた時間を埋め合わせるようにできるだけ会う時間をとっているそうです。
そして姉ドミニクさんは妹ジェニファーさんについてこう語っています。
「私は姉として彼女の事を誇りに思います。ジェニファーは自分の望むもののために生きています。」
と。


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