タイで生後数か月で捨てられ、5歳で米国へ里子に。先天性四肢欠損症で両脚を持たずして生まれてきたカンヤさん。モデル、スケートボート、スノーボードを颯爽とこなす。”No Legs, No Limits ”足がない事実は何も彼女に制限を及ぼさない。
【カンヤ・セッサー】逆境に負けないモデル どんな人?
【カンヤ・セッサー】逆境に負けないモデル 生い立ちは?
1992年のとある早朝、タイの寺院の前を通りかかった女性が悲痛な声で泣く赤ん坊を拾います。
それがカンヤ・セッサーさんでした。
1992年9月13日午前5時、タイのパクチョンでのことでした。
まだ薄暗い早朝、どこから泣き声が聞こえてくるのかわからなかった女性は懐中電灯を取り出し注意深く道端を照らしてみました。背の高い草の陰にピンクの布に包まれもぞもぞ動いている物体がありました。そこに赤ん坊がいたのです!
女性は家に赤ん坊を連れて帰り、毛布から赤ん坊を出し体についていたゴミを洗い流します。そして女性はあることに気が付きます。
「あら、この子足がない!」
女性はそれが切断されたものなのかそうでないのか確認しますが、切断されたような傷は見当たりませんでした。
赤ん坊は先天性四肢欠損症で、両方の大腿から下がありませんでした。また片方の手には水かきが、もう片方の手は通常よりも多く指がついていました。
女性は警察に連絡します。警察は生後数か月の赤ん坊を病院へ連れて行きました。
その後数年間赤ん坊は病院で過ごします。病院スタッフが交代で赤ん坊の世話をしつつ、生みの親をさがしましたが結局見つける事はできませんでした。
ですがその後、1998年5月にアメリカ人夫婦に引き取られ捨てられた子どもは「家族」を得る事ができました。
カンヤ・セッサーさんは5歳でアメリカ人夫婦に引き取られ、タイからアメリカへ行きましたが当初言葉の壁、文化の壁にぶちあたり生活に慣れるまで苦労したようです。
英語に関しては9歳まで話す事ができず、文法も文脈も解からなくて泣いたこともあったそうです。
この問題を解決する為にカンヤ・セッサーさんが出した答えは”なるべく早く、できるかぎり自立すること”でした。
まずは自分の手を使って”歩くこと”を独学でできるようになります。カンヤ・セッサーさんは何より自分の”持っているもの”で成長しなくてはならなかったのです。
カンヤ・セッサーさんは足の他に、手にも異常がありました。片手は指の間に水かきがあり、もう片方の手は多指症で通常よりも指が多い状態でした。
アメリカに来た当初それらに対してそれぞれ手術をしています。そしてそれらの手術をした後、車いす陸上、バスケットボール、テニス、ラグビーに挑戦しました。
スケートボードを始めたのもちょうどこの頃でした。
カンヤ・セッサーさんはスケートボードを筆頭に様々なスポーツに挑戦し、その上モデル、俳優業まで挑戦しています。そんな彼女の経歴はどのようなものでしょうか?
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