ガンサバイバー!TV番組で乳がん発覚からの決断。左乳がん全摘手術、歌手活動再開。2007年今の旦那様と再婚。数々の洋楽カバー曲が大ヒット、麻倉未稀さんについて調べてみた。
【麻倉未稀】”洋楽カバーの女王”麻倉未稀さんてどんな人?
麻倉未稀さんは1980年代に人気テレビドラマ『スクール☆ウォーズ』、『スチュワーデス物語』、『乳姉妹』などの主題歌やエンディングテーマを担当されていた歌手です。
『ホワット ア フィーリング 〜フラッシュダンス』(1983年「スチュワーデス物語」主題歌)、『ヒーロー』(1984年「スクール☆ウォーズ」主題歌)、『RUNAWAY』(1985年「乳姉妹」主題歌)は全て洋楽カバー曲です。この事から”洋楽カバーの女王”と評されています。
麻倉未稀さんは21歳で歌手としてデビューされていますが、はじめは歌手になる夢は特になかったそうです。
当時は『スター誕生!』のようなオーディション番組が多くあり、歌の上手い同級生がいつも受けに行っていたそう。麻倉未稀さんはオーディションを受けに行っていた訳ではなく、帰りにその友人と「あんみつ」を食べる事がルーチンになっており、「あんみつ」を食べたいが為に友人にくっついてオーディション会場へいっていたそうです。
しかしある日その友人から「1人で受けるの嫌だから、一緒に受けて」と頼まれたそう。
当時歌った事はなかった麻倉未稀さんですが、「ちょっとおもしろそうだから受けようかな」とオーディションを受けたそう。そして結果そのオーディションになんと合格したそうです。
麻倉未稀さんはオーディションに合格しましたがお母様からの反対があり、その時はデビューを断念しました。
しかしその後音楽学校のオーディションを受けます。その音楽学校は月謝が1か月無料だったのですが、その無料期間の1か月で歌う事の楽しさにハマったそうです。
当時は松田聖子さんを筆頭に近藤真彦さん、松本伊代さんなどアイドル全盛期の時代でした。麻倉未稀さんも当初はアイドルとしてデビューする予定でしたが、「アイドル」にしては雰囲気がアダルトだったことから「アイドル」ではなく「歌手」路線に変更になったそうです。
【麻倉未稀】出演番組で乳がん発覚!ステージ2 ルミナールA
麻倉未稀さんは2017年5月22日に放映されたTV番組「名医のTHE太鼓判」で乳がん検診を受け、その結果ステージ2の乳がんが発見されました。
麻倉さんの左乳房には約2センチの2つの腫瘍がひょうたんのような形で存在していました。
番組内で乳房に腫瘤が見つかり、さらにそこから精密検査を行った結果、麻倉未稀さんの乳がんはステージ2、サブタイプはルミナールAと診断されました。
サブタイプとはなんでしょう?
実は一言で「がん」と表現しますが、肺がん、胃がん、乳がん、子宮頸がんなど同じ部位にできた「がん」だとしてもそれぞれに癌細胞の種類により悪性度が高い、低い、どんな薬が効きやすかなどそれぞれ特性があります。
乳がんの治療ではこのサブタイプごとに適した薬剤を使用して薬物療法を行います。そうすることによって、より患者に負担の少ない効果的な治療を行う事が可能になっています。
また治療後の経過もサブタイプによって予測がある程度可能になります。
ルミナールAタイプはがん細胞が増えるスピードの遅いタイプで女性ホルモンを養分にして増殖するタイプです。治療はホルモン療法が推奨されます。麻倉未稀さんの罹患したのはそういった性状をもつ乳がんでした
【麻倉未稀】乳がん公表と乳房全摘手術の決断
麻倉未稀さんは乳がんの宣告を受けた後、検診の後の番組内で「がんであった事を公表するかどうか」を決めなくてはいけませんでした。
歌手であり、『ヒーロー』を歌いながら「人生にはいろんなことがあるよ! 皆んなの中にもヒーローはいるよ! だから一緒に頑張ろう!」って歌ってきた私が自分ががんになったからやめるね!…って私の性格上、そんなこと出来ないし云えない!
番組で見つかった…という事は…。
怯むな!…と神様がおっしゃってる。
この先、何が起ころうとドーンと受け止めよう❗️
Amebaブログ『Voice of Power~人生っておもしろい~ 2022-03-20
がんを告知された日、東京駅から家へ帰る新幹線の中で
「公表しよう」
そう決めた麻倉未稀さんは改札を出てすぐに、「乳がん」と告知されたことを番組で公表する事、そして今後どのようにしていくのかを話し合う為事務所へ電話をされました。
番組内で行った検診で乳房にしこりが見つかりそこから精密検査をし乳がんの告知をうけ、公表を決めるまでの怒涛の日々のあれこれを麻倉未稀さんはご自身のamebaブログの初期から書き記してみえます。
がん告知の後、精密検査の結果が出そろい左乳房の全摘手術は免れない状態である事が確認されます。麻倉未稀さんは左乳房切除術を行う事、同時に乳房再建術を行う事を自らその日のうちに決定されます。
いろいろ情報を集めしっかり自分と向き合われて事前に覚悟を決められていたのだとは思いますが、その決断力に「生きるんだ!」という力強い意志を感じます。
胸を失う辛さはありますが、命を繋ぎ、歌えるなら!
そう思いました🌸
Amebaブログ『Voice of Power~人生っておもしろい~ 2022-03-18
【麻倉未稀】「乳がん」サバイバーとしてピンクリボン運動への参加
麻倉未稀さんは乳がんになり入院、手術、術後に関してのこと、がん保険の話などわからないことだらけだった自らの体験から乳がんに関しての知識を啓蒙するピンクリボン運動『ピンクリボンふじさわ』を立ち上げられています。地元、藤沢市の乳がん検診率が低かったことも立ち上げ理由の一つのようです。
乳がんは検診によって早期発見が可能ながんです。乳がん検診を受ければ命を長らえる可能性が膨らむことを本当に実感されたのでしょうね。
同じころフリーアナウンサーの小林麻央さんも乳がんの闘病をされていました。
小林麻央さんは乳房のしこりを指摘されてから半年間それを放置してしまったと公表されていました。
もちろん「がん」の細胞の種類や性状など麻倉未稀さんのものと単純に比べられるものではありません。
その後の治療に関しても小林麻央さんは公表されていない為詳細はわからないままですが、もし半年放置されずすぐに治療に入られていたら、もしかしたら2人の幼い子ども達はまだお母さんとお話しできていたかもしれない、まだ私たちはTVで小林麻央さん親子の仲睦まじい姿を見る事ができていたかもしれないと思うと、とても切ないです。
小林麻央さんは麻倉未稀さんが左乳房全摘術、乳房再建術をされた日に永眠されました。
【麻倉未稀】乳がん闘病を支えた家族 夫とモデルの姉
乳がんと闘う麻倉未稀さんを支えられたのは姉の高橋美和子さんと麻倉未稀さんの旦那様でした。
麻倉未稀さんのお姉さんはモデルの高橋美和子(たかはし みわこ)さんです。高橋美和子さんはミセスや婦人画報、美しい着物などの雑誌やTVCMなどのモデルをされています。
麻倉未稀さんが乳がん治療を受けた「湘南記念病院乳腺センター」は姉高橋美和子さんの友人の乳がんサバイバーに「神奈川県ならこの先生がいい」と紹介された病院です。
高橋美和子さんは麻倉未稀さんが乳房切除術の為入院していた時も自分の子ども達、麻倉未稀さんにとっては甥っ子姪っ子たちの写真や動画を送って応援されていたようです。麻倉未稀さんはその姪っ子甥っ子の姿にとても癒されたとの事。
乳房内から乳がん細胞が最初にたどりつくリンパ節(センチネルリンパ節)への転移があるかどうかは手術中に確認します。センチネルリンパ節への転移があるという事は再発のリスクが高い事を意味します。
麻倉未稀さんはセンチネルリンパ節への転移はありませんでした。その結果を聞いたとき姉の高橋美和子さんは腰を抜かしてしまったそうです。本当に安堵されたのでしょうね。
麻倉未稀さんは2007年に今のご主人と再婚されました。旦那様は一般の方のようで、名前や顔などのプライベートな情報は一切公表されていません。
写真などの情報は上げられませんが、麻倉未稀さんはブログやSNSで旦那様のことをたびたび話題にされています。それらの記事からはお二人がとても仲睦まじい関係であることがうかがえます。
旦那様は心臓疾患をお持ちのようです。それぞれの体をお互い思いやりながら生活していらっしゃるんでしょうね。
【麻倉未稀】まとめ 洋楽カバーの女王、そして乳がんサバイバー
麻倉未稀さんは1980年代、人気TVドラマの主題歌を数多く担当されていた歌手です。それらの曲が洋楽カバーであったため”洋楽の女王”と呼ばれています。
麻倉未稀さんは2017年に参加したTV番組の企画で健康診断を受け、そのことによって乳がんを見つける事ができました。
その後早急に精密検査、乳房切除術、乳房再建術を行う事が出来たため、現在歌手として無事活動を再開されています。
また自身のご経験から乳がん啓発運動のピンクリボン運動に参加されています。
麻倉未稀さんの個人ブログには乳がん患者として経験してきたことを書き綴ってみえます。
乳がんは手術後も長期間経過観察を必要とする病気です。
麻倉未稀さんは今年で術後6年。再発することなくすごされています。
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